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レトロ&モダンの結婚式場が流行しています。結婚式には同年代の友人だけでなく、親族や会社の上司の方々など年齢的にも目上の方をお招きします。大切なゲストに居心地良くすごしていただきたいという新郎新婦の配慮から、軽くない重厚な雰囲気の会場が好まれるようになりました。迎賓館サクラヒルズ川上別荘は「レトロ風」の会場ではありません。そこにあるのは「本当の歴史・文化」です。本物が持つ感動は「レトロ風」の会場とは異なり、深くゲストの心に刻まれます。どの世代のゲストにとっても居心地の良い会場をお探しのお二人にとって、迎賓館サクラヒルズ川上別荘は「唯一無二の場所」となることでしょう。
※左の映像には音声はありません
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後藤恕作は激動の明治・大正・昭和に活躍した実業家です。毛織業の発達に貢献し、現在では「民間毛織物メーカーの祖」と呼ばれています。昭和3年(1928年)にはその功績から緑綬褒章を授与されました。明治・大正時代を東京で過ごし、加速度的に西洋化する日本を目の当たりにしてきた恕作。そんな彼が建てた後藤別荘は、大正建築の特徴である赤煉瓦が印象的です。完成から80年以上経った今でも古さを感じないこの別荘には、様々な人の手を渡り鵜沼の歴史とともに歩んできました。今なお人々から「後藤別荘」と変わらずに呼ばれる理由は、後藤氏とこの別荘が鵜沼の歴史の象徴であるからかもしれません。

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川上貞奴(本名: 小山貞) は明治から昭和にかけて活躍した女優です。19世紀以前の日本の芸能・舞台は男社会でしたが、ふとしたきっかけで貞奴は女性で初めて演劇の舞台に上がることになりました。それから演劇の世界で活躍するようになった彼女は、アメリカやヨーロッパなどの海外興行において、そのエキゾチックな日本舞踊と美貌が評判を呼び、瞬く間に欧米中で空前の人気を得たのです。そこから「女優」という仕事が認知されたため「日本初の女優」と言われています。そんな貞奴の人生は決して平坦なものではありませんでした。電力王と呼ばれるまでに財界を上り詰めた福澤桃介と運命的に出会い、別れ、そしてまた晩年に再会して添い遂げる。「映画」のような波乱に満ちたものでした。そんな貞奴がひとりの女性として思うところがあったのでしょう。彼女は晩年、岐阜の各務原に自身の寺「貞照寺」と、その門前に別荘「萬松園」を構えました。


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木曽川のダム発電に心血を注いだ桃介との思い出が詰まった鵜沼を愛していた貞奴は、それまで愛用していた二葉御殿(現:名古屋市東区)を売却するなど、私財をなげうって貞照寺と萬松園を建てたのです。萬松園は、別荘と呼ぶにはあまりにも大きな規模で、日本中から集められた材料や装飾品が施され、全国から派遣された大工によって建てられたました。貞奴の人並外れた感性と、それまでの62年間の人生をそのままに投影したこの別荘は、二葉御殿のように事業の接客・商談をするための公的な別荘と異なり、貞奴と桃介のためだけに設計され、貞奴の桃介に対する愛情を素直に投影したものです。純粋な私邸であるがゆえの豪華さと、女性ならではのこだわりに満ちた別荘、それが「萬松園」です。
